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鎖国令

音吉たち3人はハワイ経由でロンドンに渡り、日本人として初めてロンドンを見物、
その後、マカオに送られた。マカオにはやはり漂流して救助された日本人4人と会った。

 1837年、7人に帰国の機会が訪れる。アメリカの貿易会社が日本との貿易を実現させたいと
モリスン号で日本に向かうことになったのだ。しかし、船が浦賀沖に入ると、大砲の砲撃を受けた。

 日本は当時、異国船打ち払い令があり、他国の船はたとえ、非武装であっても砲撃を受けた。
また、鎖国令は、キリシタン取締り、海外貿易の禁止、異国渡航の禁止の条項があり、異国に居住して
帰国すると死罪という処罰を受けることになっていた。

 音吉たち7人は異国で生きることを決意する。その後音吉はイギリスの貿易会社に勤め、マカオ、
上海などに勤務した。
 1854年、意外なめぐりあわせで、音吉はイギリスと日本の条約を結ぶ通訳を務めることとなった。
その功績が認められ、音吉はイギリスの市民権を得て、明治維新の前年、シンガポールで49歳で亡くなった。

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2011-06-30(Thu)
 

漂流者 音吉

 かつて、日本は鎖国をしていたが、海で遭難し、潮流にのってアメリカに
漂着した男たちがいる。
愛知県美浜町出身の音吉は、アメリカ本土に初めて上陸した日本人のひとりだ。

 14歳の見習い船乗り音吉は1832年11月、28歳の岩吉、15歳の久吉など14人と
ともに、米や陶器を積んだ船に乗り、江戸に向かう途中で消息を絶った。故郷の人々は
冬の荒波で難破したものと思い、墓を立てた。

 ところが、船は海流に乗って、さ迷い、14ヶ月後、ワシントン州のフラッタリー岬に
漂着したのである。長い漂流の間に乗組員たちは次々と死亡し、生存していたのは
音吉、岩吉、久吉の3人だけだった。

 ワシントン州の当時は、未開の地で原住民に3人は助けられる。たまたま毛皮の交易に
来ていたイギリス人に引き取られ、フォートバンクーバーに連れて行かれた。
そこで、寄宿学校に預けられ、英語教育を受けることになった。  つづく

2011-06-29(Wed)
 

執筆中

 ワイキキ到着後、ハワイの日刊紙のコラムの原稿を書き
次に、青梅のタウン誌「ぷらむニュース」の原稿を書き
合間に江戸時代から大正時代までの、東北地方の事情を調べながら書いています。

 戊辰戦争(ぼしんせんそう)は1868年、薩長を中心とした官軍(新政府軍)と
東北地方、31藩との戦争ですが、東北チームがは完璧に負けてしまいました。
会津藩、仙台藩、米沢藩など東北各藩は壊滅的な状況になり、東北の民は苦しみます。

なんだか、今度の震災と同じところが苦労をするのです。

勝った薩長(現在の鹿児島、長崎、山口県など)は今、安全なのですよ。う・・・ん
2011-06-17(Fri)
 

またもや南の島

 青梅不動産社長の結婚式に出るために、日本に帰っておりましたが
またまた、飛んでハワイにおります。

 外から日本をみると、地震の多いことに驚かされます。
毎日、地震のニュースがない日は無いですね。

 政界も大揺れのようで、地下も地上も大揺れで、不安定なことこの上もなく・・・

 もしも、地下がまた大きく揺れたとき、大地震をはじめ災害がおきたときですが
日本の政治は大丈夫なのかと心配です。

 ともかく、南の島で私は頑張ります(何を頑張るのかは次回で)
2011-06-04(Sat)
 
プロフィール

なかごめ

Author:なかごめ
青梅不動産怪鳥(会長)の中込です。趣味はぷらむニュースの編集、発行。ぷらむニュースは地域のタウン誌で西多摩各所で無料配布しています。

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