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昨日,カウアイ島に行ってきました。
ホノルル空港からバスのような飛行機で30分で着きます。
飛行機の乗務員はポロシャツにミニスカート、スニーカーと、ジョギング帰りのようなスタイルです。

自然だけがいっぱいの島で、茶色の鶏がそこいら中にいます。
鳩やスズメのように鶏がいっぱいなのです。
10年前のハリケーンで、飼われていた鳥が逃げ、野生化したそうですが、なぜ10年たってもまだ
放し飼いなのか、不思議です。

昼食に出たチキンがやたら固かったのですが、その辺で捕まえた野生の鶏かな~

観光バスのドライバー、ガイドの女性、船の乗組員、みんな70歳は軽く超えていそうです。
シダの洞窟の案内をする女性は傘を杖代わりにして歩き、バスのガイドさんも時々、腰をさすりながら

でも陽気に働く彼らに、見習わなければと思いました。
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2011-07-16(Sat)
 

ジョン・万次郎 続

 万次郎の出身地、土佐藩では坂本竜馬が頭角を現していた時代だったが、竜馬は
さっそく、万次郎を土佐の士分に取り立て、高知城下の藩校「教授館」の教授とした。
さらに翌年には江戸に呼び寄せられ、幕府直参となるのである。
 死罪を恐れながら戻った日本で、万次郎は苗字帯刀を許され、中濱万次郎を名のった。

 後に、日米修好通商条約の批准のために尽力をし、明治維新後は開成学校(現東京大学)の
教授として教壇に立った。

 読み書きもほとんどできない貧しい漁民だった少年が、漂流してアメリカ人に助けられ
教育を受ける機会を得て、立派に成長し、祖国とアメリカを結ぶ人物に育った実話は感慨深い
ものがある。

 7月4日はアメリカ独立記念日でアメリカ中で祝いの花火が打ち上げられる。
2011-07-04(Mon)
 

ジョン・万次郎

 1841年、土佐国中濱村(現在の高知県土佐清水市)出身の万次郎は14歳の時、
漁船に乗っていて遭難し、仲間4人とともに太平洋に浮かぶ無人島、鳥島に漂着した。
5ヶ月後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救出される。
 万次郎は幼いころ父親を亡くし、早くから働いて家計を助けていた。

 5人のうち4人はハワイに寄港した際にハワイに残り、万次郎はアメリカに行く決意を
した。万次郎の前向きの性格は船員たちに好感をもたれ「ジョン・マン」と呼ばれた。

 ウイリアム・ホイットフィールド船長は我が子のように可愛がり、英語、数学、航海術
測量術、造船技術などを学ばさせた。日本では貧しくて寺子屋にも行けず、読み書きも
できなかった万次郎が、アメリカではじめて教育を受ける機会に恵まれたのだ。

 万次郎は次々と知識を吸収し、難破してから10年後に帰国する。死罪が待っているかもしれない
帰国だったが、日本は幕末で、時代は万次郎を必要としていた。  つづく

 
2011-07-01(Fri)
 
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なかごめ

Author:なかごめ
青梅不動産怪鳥(会長)の中込です。趣味はぷらむニュースの編集、発行。ぷらむニュースは地域のタウン誌で西多摩各所で無料配布しています。

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