漂流者 音吉
かつて、日本は鎖国をしていたが、海で遭難し、潮流にのってアメリカに
漂着した男たちがいる。
愛知県美浜町出身の音吉は、アメリカ本土に初めて上陸した日本人のひとりだ。
14歳の見習い船乗り音吉は1832年11月、28歳の岩吉、15歳の久吉など14人と
ともに、米や陶器を積んだ船に乗り、江戸に向かう途中で消息を絶った。故郷の人々は
冬の荒波で難破したものと思い、墓を立てた。
ところが、船は海流に乗って、さ迷い、14ヶ月後、ワシントン州のフラッタリー岬に
漂着したのである。長い漂流の間に乗組員たちは次々と死亡し、生存していたのは
音吉、岩吉、久吉の3人だけだった。
ワシントン州の当時は、未開の地で原住民に3人は助けられる。たまたま毛皮の交易に
来ていたイギリス人に引き取られ、フォートバンクーバーに連れて行かれた。
そこで、寄宿学校に預けられ、英語教育を受けることになった。 つづく
漂着した男たちがいる。
愛知県美浜町出身の音吉は、アメリカ本土に初めて上陸した日本人のひとりだ。
14歳の見習い船乗り音吉は1832年11月、28歳の岩吉、15歳の久吉など14人と
ともに、米や陶器を積んだ船に乗り、江戸に向かう途中で消息を絶った。故郷の人々は
冬の荒波で難破したものと思い、墓を立てた。
ところが、船は海流に乗って、さ迷い、14ヶ月後、ワシントン州のフラッタリー岬に
漂着したのである。長い漂流の間に乗組員たちは次々と死亡し、生存していたのは
音吉、岩吉、久吉の3人だけだった。
ワシントン州の当時は、未開の地で原住民に3人は助けられる。たまたま毛皮の交易に
来ていたイギリス人に引き取られ、フォートバンクーバーに連れて行かれた。
そこで、寄宿学校に預けられ、英語教育を受けることになった。 つづく
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2011-06-29(Wed)
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